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三重県ゴルフ連盟

事務局だより

◆3eの日◆新連載 MGA物語<第1回>三重県オープン

2017/07/04(Tue) 16:10:15
三重県ゴルフ連盟専務理事 栗田秋生氏が語る
MGA40周年企画/MGA物語 第1回は三重県オープン

MGA物語<第1回>

★第39回三重県オープンゴルフ選手権競技の会場となった三鈴カントリー倶楽部は、三重県オープンの栄えある第1回を開催した。三鈴CCでは平成9年の第19回大会も開催。今回が3度目の開催であった。
三重県オープンの創始や三重県ゴルフ連盟設立に詳しい栗田秋生MGA専務理事にお話を伺った。

●三重県オープンは、どのようにしてスタートしたのですか。
栗田:三重県オープンの第1回は昭和54年9月でしたが、その前身となる競技が三重県アマプロゴルフ選手権競技でした。昭和52年と53年の2回開催しています。三重県アマプロは、当時、三重県にあった三球会というシングルプレーヤーの会が率先して動いて生まれた大会です。昭和40年代に活動していた三球会には、四日市CC競技委員長だった藤田宣次氏がおられ、第1回の県アマプロを開催するために、資金をはじめパンフレット作成や広告取りなど何もかも有志たちの手作りで行いました。大変なことでしたが、おかげさまで2回の開催を成功裏に終えて、いよいよオープンゴルフ選手権へと発展させることになりました。
ところが、県を挙げてのオープン開催にはきちんとした組織が必要になってきます。そこで、それまで三重カンツリークラブ内の事務局で行っていた県内のゴルフ場の事務処理を、もっと統括運営するための三重県ゴルフ連盟を設立することになったのです。昭和53年の連盟設立には、藤田氏のほか、松阪CC取締役支配人の船谷英男氏(故人)と私(当時スリーレイクスCC取締役支配人)が中心に動きました。
記念すべき第1回県オープンの会場選びをどこにするか。そのポイントは、新しいゴルフ場で、交通の便がいい所であること、とこの三鈴カントリー倶楽部になったと記憶しています。
●三重県オープンには手作りのハートが生きているんですね。
栗田:そうですね、初めから手作りで、そのハートはずっと残されています。それも、運営に携わっている皆さんのおかげです。競技自体も今は予選をA地区B地区に分けて行っていますが、当初は加盟倶楽部も少なく、大会は予選2日間と決勝1日の3日間で行いました。開催月も当初からずっと8月上旬の暑い時に行ってきましたが、芝の生育や管理の状況が変化してきたこともあり、第35回(平成25年)四日市大会から6月の開催に変更しました。大会として、魅力を増しながら、少しずつスケールアップしていったのですが、平成5年から県オープンをもっと盛大に挙行するため加盟倶楽部からオープン協賛金を徴収することになり、賞品も立派になっていきましたね。優勝副賞に車が提供されていた時代もありました。今では、松阪牛10kgやお米3年分をはじめスポンサーの皆さんのご協力で本当にたくさんの副賞をご提供いただいており感謝しています。
★栗田氏が所蔵する、第1回三重県オープンの記念キャップ
 栗田氏は三重県オープンでは大会副会長を務める。
<栗田秋生 プロフィール>
三重県ゴルフ連盟専務理事
昭和6年10月、三重県で生まれ、大学卒業後日活に就職。昭和52年~昭和60年スリーレイクスCC支配人、昭和62年~平成13年四日市CC支配人などを歴任。昭和53年三重県ゴルフ連盟設立に尽力、現在は連盟の専務理事。85歳
(三重県ゴルフ連盟物語 次回★3eの日★に続く)